スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「騎手の一分」を読んだ

ちょいとダービーデーのお話の箸休め。・・・って安田記念も終わっちゃったけど。

藤田伸二騎手(ダービーではメイケイペガスターで彼らしい乗り方をしましたね、そういえばタケヒデさんの馬だったんだよね)の著書、
「騎手の一分-競馬界の真実」を読んだ。

なんでこのタイミングでこの記事を?というのは、ダービーデーの2Rに無関心でいるのはちょっとと思ったから。
実は私、リアルタイムでこのレースを見ていなかった。そのときちょうど来場ポイントの景品交換の行列に並んでいたのだ。
あとでパトロールビデオを見てみると、ダートコースの4コーナーを回って岩部騎手の乗った馬がその内側にいた杉原騎手の馬にぶち当たっていた。
まさに「ぶち当たる」。

その直前、岩部騎手が馬を御するようにも見える動きを取るのだけれど、映像が粗くまた一方向からしか見えないのでなんとも言えない。
杉原くんの馬は不自然に崩れ落ち(ハ行で済んだそうだが、心の傷はどうだろう)、後続の2頭の馬が巻き込まれて転倒する。
乗っていた騎手が投げ出され、後ろから来た馬たちに蹴られその場に取り残される。

それで最近、特別模範騎手の兄貴の本を読んでいたことを思い出したのだ。
彼は騎手になったことを誇りに思い、自分の人生や競馬のことを今までもいろいろな形で世に訴えてきた。
「いつ辞めてもいい」彼が書いたこの本は、仲間への愛で満ち溢れている。
仲間とは、どんな形で彼と同じ側にいる人間のことだ。
たとえ同じ騎手でも、馬に大きな負担をかけるような乗り方をする騎手を、彼は名指しで非難する。
私は彼のそんな真っ直ぐなところが好きだ。あまりに真っ直ぐだから特別模範騎手になれるのだし、
それだけに意図しないところで他人に叩かれてしまう場合もある。

これまでも彼は彼にしかできない方法で競馬のあり方を世に問うてきたけれど、これはその究極ではないだろうか?
そこまでして彼が訴えたいものは何か?彼が愛してやまない競馬とは何か?

例えば彼は自分自身の会心(?)のレースの一つとして、ヒルノダムールで制した春の天皇賞を挙げる。
あれは私たちファンにとっても、見ていてとても面白いレースだったし、やっぱり腕の差が出るのは長距離だねと
改めて思い知ったレースでもあった。逃げた騎手は勝とうとして逃げたのだし、途中で仕掛けた騎手たちは勝とうとして仕掛けたのだ。
ほんとうに面白いレースだった。
掛け値なしで、自分がリアルタイムで見た春天のベストレースである。

その上で、彼は朝から全力投球で乗る騎手たちを称える。
エージェントによる安易な乗り替わりに怯え、本当の実力を発揮できないかもしれない若手たち。
大手馬主の気に入らない乗り方をしたら、もう乗せてもらえないのではないかという不安に苛まれる騎手たち。
私たちは、これだけ自由に美しく馬を操る才能を乗った人間たちを、そんなつまらない理由で彼らが努力の末に掴んだ
職業から離れることを許してもいいのだろうか?

才能あるものには大いなる舞台を。
これから伸びゆく芽には限りない可能性を。
挫折を味わったものには、再チャレンジする機会を。

私たちは、私達の社会で必要としているもののモデルケースに、競馬界を指名してもいいのではないだろうか。

だって、馬は理由もなくとてつもなく美しく、人を幸せにしてくれるものだから。


スポンサーサイト
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。