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二代目の心意気

先日、美浦の松山康久調教師が2月末の定年を前にしてJRA通算1000勝を上げたというニュースがあった。

私はイマドキの、転職を繰り返す人々を悪く言うつもりは全くない。世の中の荒波をかいくぐりながら時には壁にぶち当たり、環境に洗われるように自分を磨いていけるのは素晴らしいことだと思う。しかし一つの仕事に人生を捧げることができるのもまた、十分幸せなことなのだと考えている。

松山康久師の父親もまた競馬の調教師で、だから年配のファンには彼のことを「(同じ松山でも)息子の方」というような言い方をする人もいると聞く。私はそんなキャリアはないし、競馬の歴史を熱心に勉強もしていないので、松山師はそのままで松山康調教師なのである。同姓の調教師がいるのでこういう書き方になる、私は競走馬の血統にも詳しくはないけれど、競馬関係者の血縁関係にも詳しくない。まあ、競馬歴が長くなれば自然に覚えていくものなのかもしれないけれど。

そんなわけで「二代目」が手がけた代表馬の一頭、ミスターシービーがこれまた二代目であることも初めて知った。
シービーというのは生産牧場である千明牧場の頭文字から来ているのだが、気象学における積乱雲の略称がCbであることと全く無関係とは思えない。夏の空に高く高く伸びていく真っ白な雲、そしていっぱいの光を受けて輝く緑の牧草地。群馬県の牧場で澄んだ空気ときれいな水で育った馬にぴったりの名前ではないか。

私のキャリアでミスターシービーについてのあれこれを語るのは不可能なので、話を現在に近いところに持っていく。
松山師が8年ぶりの重賞を勝ったサウンドオブハート、私は彼女が大好きだった。現役最後のレースとなってしまったヴィクトリアマイルも東京競馬場で見ていた。そう、あの時私はヴィルシーナを外して彼女を入れたWIN5を買っていて、そのレースを外したばかりに11万円あまりの払い戻しを取り損なったのだ。
そういえば競馬の思い出に馬券が絡むのは自然だろうか?
なぜか大好きな馬の馬券を買って外したレースばかりが思い出に残るのはどうしてだろう?

彼女はそのレース中の怪我が元で引退した。
どうやら今も元気でどこかにいるらしい。
数年後に彼女の子供に競馬場で会えることを祈りたい。
そしてどうかその時に、元調教師としての身分で松山師が競馬場にいることを祈りたい。

競馬場に行くとよく、引退した調教師の方がかつて縁のあった馬主や騎手の応援に来ているのを見かける。
仕事を全うした職人の姿は清々しい。そして今でも現役を続ける後進たちを思い遣り、気にかけている姿勢がなんだか微笑ましい。厳しい勝負の世界のはずなのに、競馬にはどうしてこうも濃い人間臭さが残っているのだろう。松山師の1000勝の際も、多くの騎手がその瞬間を待っていたようなコメントを出したし、実際にそのレースに乗った騎手はまるで多くの騎手の代表としてその勝利を喜んでいたようだった。

馬っていいなあ、競馬って温かいなあと月並みな結論になってしまうのだけれど、その言葉が色褪せない響きを持つのはやはり、馬が温かいからなんだなあと思う。

あと一ヶ月、定年を迎える調教師、調教助手、そして厩務員に充実した日々がもたらされますように。
そして彼らが培った経験や知恵が、後進たちに正しく引き継がれていきますように。



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仰げば尊し(2014京都牝馬S)

今から3年前の2月、私は都内某所のWINSで心の叫びを上げていた。

「デムーロのアホーーーーー!!」

見上げたモニターには京都競馬場でレースを終えたばかりの馬たちの後ろ姿が映しだされていた。
立春の頃、底冷えのする淀を走る馬にも騎手にも勿論、私なぞにアホと言われる筋合いはない。
しかし、私にアホ呼ばわりされたデムーロ騎手が乗ったノーブルジュエリーは、この敗戦で
桜花賞への出走が絶望的になった。

彼女をゴール寸前で交わしたのは後の桜花賞馬・マルセリーナである。
その小憎たらしい程の騎乗はアンカツこと安藤勝己騎手、いまやすっかりテレビの競馬中継解説として
おなじみである。まだそんな年でもないのに早くも好々爺の雰囲気を醸し出していることもあり、
岡部元騎手と並んでも全く違和感のない不思議な人である。

騎手には定年がないが、一部の競走馬には定年がある。
あるグループに所属する牝馬は原則、最高で6歳の春までしか走らない。
若いうちに繁殖にあげて優秀な子孫をたくさん残すためなのだろう。
それがいいのかどうか私にはわからない。私にわかるのは、もしそのグループに所属する
牝馬を好きになってしまった場合、お別れの時期が決まっていることだ。
そしてそれは早くなっても遅くなることはまずない。
ノーブルジュエリーは先日の京都牝馬Sで引退したし、マルセリーナは5歳の秋、エリザベス女王杯の
あとにすでにターフを去っている。

・・・生きて繁殖に上がれるということを、何よりも喜ばなくてはいけないのはわかっていても、
競走馬が競走馬としてある姿を見られなくなるのはやはり寂しいものだ。

春はお別れの季節です
みんな旅立ってゆくんです

春先、各地の競馬場で牝馬ステークスが行われる。
そのレースを最後にターフを去る馬がたくさんいる。
最後に重賞というレースに出られる実力があって幸運な彼女たち。
かつてクラシック候補と言われ、あるいは夏の間に頭角を現し、さらにはもっと歳を重ねてから
ターフを彩った彼女たち。
後輩や同級生、そして先輩に囲まれながらの卒業式を、そっと熱く応援しよう。
そして条件戦が卒業式になる馬たちを、もっともっと応援しよう。
もちろん、現役を続ける馬たちのことも精一杯に応援しよう。

今年も競馬を支える人間たちの卒業式まで、あと一ヶ月と少し。

これを見ずして年が越せるか(2013中山大障害)

2013年、冬
去年のチャンピオン・マーベラスカイザーも、
長く障害界を引っ張ったマジェスティバイオもこの世にいない

3歳で中山大障害を勝ったテイエムドラゴンの調教師も天に召された

生きている馬と生きている騎手、そしてファンが今年もレースを作る
死んだものたちはいっぱいの日差しになって競馬場に降り注ぐ
徐々に下がっていく気温、足元から冷えてくる冬の中山
4100mのコースに飛び出していく馬たちに喝采を贈る

13歳のスプリングゲントが先頭を行く
まだ競馬場には私よりもキャリアの長い馬たちが残っていて
私に「おかえりなさい」を言ってくれる
「ただいま、今年もよろしくね」
そう言って帰れる場所なのだ、競馬場は

一年の締めくくりにふさわしく、今年も走馬灯のように彼らが走る
生け垣を、竹柵を、美しい軌跡を残して飛び去りながら
彼らが飛ぶたび、今年もありがとうと言いたくなる
深いバンケットをクリアするたび、私も頑張るよが口をつく

アポロマーベリック、平地の頃からの中山巧者
今年はじめて府中で重賞を勝った
たくさんの笑顔がはじけたウィナーズサークル
それからわずか半年の出来事

最後の4コーナーを回っても馬にはまだまだ力があった
どんどん後ろが遠くなる
鞍上の五十嵐雄祐くんは意外にも初めてのJ・GⅠ勝利だった
春には草野太郎くんに初めての重賞勝利をプレゼントしたラッキーホースが
関東のトップジャンパーにビッグタイトルをもたらした

障害レースは刻々とその環境が変わっている
変化にさらされている競馬界の矢面に立たされているかのように
それでも馬は飛び騎手は技を磨く
ファンを夢を託しどこまででも応援に駆けつける

来年もそしてその次も
素晴らしい馬と素晴らしい騎手との技の競演を・・・
中山大障害が暮れの大一番で在り続けますように

持っている人(2013マイルCS)

週末競馬を控えた金曜日、とあるバラエティ番組のゲストにユタカさんを迎えた分が放送されました。
その番組の名物コーナーは、値段を予想しながら高級レストランで食事をし最も大きく外した人が全員分の食事代を払うというものです。
我らがユタカさんは豪快に予想をしながら美味しそうなものをモリモリ食べて豪快に設定金額をオーバーし、総額10何円余りの食事代を払いました。あっさり財布から現金が出てくるのもすごいです。
「競馬場で野次られる」
笑いながらそんなことを言っていたユタカさん、いくつになっても爽やかで競馬に人生を捧げる姿は本当に感動します。

それから二日後、京都競馬場で行われたマイルチャンピオンシップ、ユタカさんはこのレースを去年サダムパテックで勝ちました。
久々のGⅠ勝利にファンは喜び、勝利ジョッキーインタビューでの一言一言に心を打たれました。

それから一年、今年のユタカさんはまたも久々にダービーを勝ち同じく感動的な言葉を残しました。
日本競馬会にはまだまだこの人がいてくれなくちゃ、というのと同時に次世代のスター誕生を強く思った一年でした。

今年のマイルチャンピオンシップ、一番人気は最近の大舞台で絶好調のユーイチ君を擁するダノンシャークでした。
ユタカさんの相棒はトーセンラー、知る人ぞ知る被災馬(東日本大震災の時に宮城県亘理町の山元トレセンにいた)です。父・ディープインパクトを彷彿とさせる切れ味するどい末脚の持ち主です。

・・・末脚自慢のディープ産駒は、レースのたびに父の名前を出されてちょっと気の毒な気もしますが、サラブレッドは血統のスポーツで、親の七光りはちっとも恥ずかしくないのでしょうがないのでしょう。私たちも予想をするときにはほぼ確実に血統を気にしますしね。

この日もトーセンラーは期待に答えて(いや、期待以上の?)末脚を炸裂させて直線でじつに清々しく他馬をゴボウ抜き。逃げ馬のペースもほどほどで(秋天はちょっと速すぎた、あれ?逃げたのユタカさん&トウケイヘイローじゃん)、トーセンラーには上手くハマりました。

そして、2年前まではなかなか勝てなかったレースを連覇するなんて、うまくいく時にはうまくいくものです。しかもバラエティ番組放映直後でしたから、きっと競馬場では温かいヤジが飛び交っていたことでしょう。現地の雰囲気を味わいたかったなー。やっぱり競馬は現場で見るのが一番だ!

そしてユタカさん、ついにGⅠ通算100勝です。随分前から気を持たせて持たせてフランスまで行って、そして決めたのは秋の京都でした。いやー、京都競馬場から送られた一升瓶が似合うこと!

そういえば以前、京都で同じく一升瓶を送られたペリエさんが、プレゼンターを務めたユタカさんにチューをしたこともあったなぁと懐かしく思い出します。一升瓶が2本だったので、ペリエさんのJRA通算200勝の時だったでしょうか。

とにかく「今まで通過していた」マイルをゴールにしたレースでちっきり勝ったトーセンラー、被災地の競馬ファンや関係者の夢を乗せて、これからも胸のすく末脚を披露してくれることを期待します。

「騎手の一分」を読んだ

ちょいとダービーデーのお話の箸休め。・・・って安田記念も終わっちゃったけど。

藤田伸二騎手(ダービーではメイケイペガスターで彼らしい乗り方をしましたね、そういえばタケヒデさんの馬だったんだよね)の著書、
「騎手の一分-競馬界の真実」を読んだ。

なんでこのタイミングでこの記事を?というのは、ダービーデーの2Rに無関心でいるのはちょっとと思ったから。
実は私、リアルタイムでこのレースを見ていなかった。そのときちょうど来場ポイントの景品交換の行列に並んでいたのだ。
あとでパトロールビデオを見てみると、ダートコースの4コーナーを回って岩部騎手の乗った馬がその内側にいた杉原騎手の馬にぶち当たっていた。
まさに「ぶち当たる」。

その直前、岩部騎手が馬を御するようにも見える動きを取るのだけれど、映像が粗くまた一方向からしか見えないのでなんとも言えない。
杉原くんの馬は不自然に崩れ落ち(ハ行で済んだそうだが、心の傷はどうだろう)、後続の2頭の馬が巻き込まれて転倒する。
乗っていた騎手が投げ出され、後ろから来た馬たちに蹴られその場に取り残される。

それで最近、特別模範騎手の兄貴の本を読んでいたことを思い出したのだ。
彼は騎手になったことを誇りに思い、自分の人生や競馬のことを今までもいろいろな形で世に訴えてきた。
「いつ辞めてもいい」彼が書いたこの本は、仲間への愛で満ち溢れている。
仲間とは、どんな形で彼と同じ側にいる人間のことだ。
たとえ同じ騎手でも、馬に大きな負担をかけるような乗り方をする騎手を、彼は名指しで非難する。
私は彼のそんな真っ直ぐなところが好きだ。あまりに真っ直ぐだから特別模範騎手になれるのだし、
それだけに意図しないところで他人に叩かれてしまう場合もある。

これまでも彼は彼にしかできない方法で競馬のあり方を世に問うてきたけれど、これはその究極ではないだろうか?
そこまでして彼が訴えたいものは何か?彼が愛してやまない競馬とは何か?

例えば彼は自分自身の会心(?)のレースの一つとして、ヒルノダムールで制した春の天皇賞を挙げる。
あれは私たちファンにとっても、見ていてとても面白いレースだったし、やっぱり腕の差が出るのは長距離だねと
改めて思い知ったレースでもあった。逃げた騎手は勝とうとして逃げたのだし、途中で仕掛けた騎手たちは勝とうとして仕掛けたのだ。
ほんとうに面白いレースだった。
掛け値なしで、自分がリアルタイムで見た春天のベストレースである。

その上で、彼は朝から全力投球で乗る騎手たちを称える。
エージェントによる安易な乗り替わりに怯え、本当の実力を発揮できないかもしれない若手たち。
大手馬主の気に入らない乗り方をしたら、もう乗せてもらえないのではないかという不安に苛まれる騎手たち。
私たちは、これだけ自由に美しく馬を操る才能を乗った人間たちを、そんなつまらない理由で彼らが努力の末に掴んだ
職業から離れることを許してもいいのだろうか?

才能あるものには大いなる舞台を。
これから伸びゆく芽には限りない可能性を。
挫折を味わったものには、再チャレンジする機会を。

私たちは、私達の社会で必要としているもののモデルケースに、競馬界を指名してもいいのではないだろうか。

だって、馬は理由もなくとてつもなく美しく、人を幸せにしてくれるものだから。


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